怠惰な生活からの脱出

必死に生きているようで、だらだらと生きてます。気楽にテキトーに生きられるようになれたらいいな🐧

カフェという空間

 夕方になり近所にあるタリーズに立ち寄り気持ちを切り替えてみる。最近はあまりカフェに行っていなかったが家にこもっていると気持ちが晴れないため、愛車のビアンキに乗って近所の駅まで来てみた。

 

 家でコーヒーを飲んでいたのにもかかわらず、ホットコーヒーを注文する。そんなに飲む気はしていないのでスモールサイズを注文しようと思っていたが、長居するかもと思いラージサイズを注文してしまった。

 

 席は4席ある大きなダイニングのようなテーブルに座る。二人席の小さいテーブルや一人席のカウンターもいいが、せっかくなので開放感のあるこのテーブルを選んでみた。少し前までは赤の他人と向かい合わせになりテーブルを共有するこの席を好き好んで利用する人はいるのかと疑問に思っていたが、一度利用してみるとこういった席の魅力に気づく。

 

 個人席より開放感がある故になんとなく気持ちが爽やかな気分になる。また他人からの視線を感じる気がするため、スマホをいじって無駄な時間を過ごすことがない。わざわざカフェに来てまでスマホをいじる人と思われたくないからだ。

 

 人からの視線は自分を正す矯正具のようなものだとたまに思う。常に視線にさらされていると疲れてしまうが、しばらく家にこもっていた私にとっては必要な刺激だ。

 

 前に座っていた男性の二人組がタブレットで動画を見ている。私よりも年上に見えるため仕事をしているのかと思っていたが、その画面に映っているのが娯楽だとわかると少し優越感を覚える。勉強をしている自分が偉くなったように錯覚したからだ。しかしそんなのは自分のエゴでしかないとすぐに気づき、そんなことで優越感を覚えた自分が嫌になる。

 

 この人たちはきっとほかの時間は自分よりも勉強しているかもしれない、働いているかもしれない。むしろ自分はここ数日家でだらだらしていただけなのだから、この人たちのほうがきっと社会の役に立っているのだろう。

 

 勉強に集中していると、20時前になり客がそそくさと帰っていく。店員さんも閉めの準備をし始めるのを見て、私も帰りの支度をする。コーヒーが半分以上残っており、やっぱりスモールにすればよかったと後悔する。荷物を片しているとパソコンの充電が少ないことに気づき、いまさらながら充電器を挿す。20時までの数分でも充電は惜しい。

 

 帰りは友達と待ち合わせをしていたのでそれまでの充電が欲しいと思っていた。けれど結局待ち時間は外で本を読んだためパソコンは使わなかった。まだ9月だが涼しい秋風が吹いていて、鈴虫が鳴いていた。心地よくここにずっといたいとさえ思う。

 

 

 

 今日は外に出て正解だった。