怠惰な生活からの脱出

必死に生きているようで、だらだらと生きてます。気楽にテキトーに生きられるようになれたらいいな🐧

家からガストへ避難

今日から毎日ブログを書くことにする。

ブログといっても内容は日記で良いと思っている。

おそらく書こうと思ってもどうせ大したことは書けないのだし、それでいい。

 

今日はガストにいる。

一日家にこもっていたら、退屈と窮屈さで死にそうになったから逃げるように出てきた。一日ロクな食事もしてなかったし、ご飯が食べたかった。

よくこうやってファミレスに来たり、カフェに来たりすることを習慣にしたいなって思うけれど、結局費用を考えていつもやめる。けれど家で息詰まりそうになるくらいなら、早い段階で家を出ていたらよかったのにといつも後悔する。

 

大学生らしき集団が入ってきた。途端に騒がしい。生き生きしててうらやましい。いやうらやましさよりも先に胸が苦しくなる。この1週間無駄に過ごしたことへの後悔が原因であると思う。よくこういう時に他人と比べてはいけないというけれど、そんなことできれば今頃俺はこんなブログなんて書いてない。このブログは他人と比べてばっかのおれの居場所を見つけるコンパスみたいなものなんだと思う。とか、かっこつけすぎか。

 

こうやって何の意味もなくタイピングして文字を書くことが意外と気持ちいい。おそらく課題とかもこれくらい無心でやれたら楽しいのかもしれない。とにかくこのブログは気分転換にはなりそうだから、今後も書き進めていきたい。いつか楽しくて仕方ないって内容の記事が書けたらいいな。

先輩との関わりかたがわからない

先輩とうまく話せない。
同い年や同期の友達とはわいわい話せるし、むしろボケたりつっこんだり率先してやるタイプの人間なのに、先輩と話すと真面目なことしか言えないつまらない人間になる。声も小さくなり自信がなくなる。
ほんとはもっと可愛がられたい。
どうしたらうまくいくのだろうか。

カフェという空間

 夕方になり近所にあるタリーズに立ち寄り気持ちを切り替えてみる。最近はあまりカフェに行っていなかったが家にこもっていると気持ちが晴れないため、愛車のビアンキに乗って近所の駅まで来てみた。

 

 家でコーヒーを飲んでいたのにもかかわらず、ホットコーヒーを注文する。そんなに飲む気はしていないのでスモールサイズを注文しようと思っていたが、長居するかもと思いラージサイズを注文してしまった。

 

 席は4席ある大きなダイニングのようなテーブルに座る。二人席の小さいテーブルや一人席のカウンターもいいが、せっかくなので開放感のあるこのテーブルを選んでみた。少し前までは赤の他人と向かい合わせになりテーブルを共有するこの席を好き好んで利用する人はいるのかと疑問に思っていたが、一度利用してみるとこういった席の魅力に気づく。

 

 個人席より開放感がある故になんとなく気持ちが爽やかな気分になる。また他人からの視線を感じる気がするため、スマホをいじって無駄な時間を過ごすことがない。わざわざカフェに来てまでスマホをいじる人と思われたくないからだ。

 

 人からの視線は自分を正す矯正具のようなものだとたまに思う。常に視線にさらされていると疲れてしまうが、しばらく家にこもっていた私にとっては必要な刺激だ。

 

 前に座っていた男性の二人組がタブレットで動画を見ている。私よりも年上に見えるため仕事をしているのかと思っていたが、その画面に映っているのが娯楽だとわかると少し優越感を覚える。勉強をしている自分が偉くなったように錯覚したからだ。しかしそんなのは自分のエゴでしかないとすぐに気づき、そんなことで優越感を覚えた自分が嫌になる。

 

 この人たちはきっとほかの時間は自分よりも勉強しているかもしれない、働いているかもしれない。むしろ自分はここ数日家でだらだらしていただけなのだから、この人たちのほうがきっと社会の役に立っているのだろう。

 

 勉強に集中していると、20時前になり客がそそくさと帰っていく。店員さんも閉めの準備をし始めるのを見て、私も帰りの支度をする。コーヒーが半分以上残っており、やっぱりスモールにすればよかったと後悔する。荷物を片しているとパソコンの充電が少ないことに気づき、いまさらながら充電器を挿す。20時までの数分でも充電は惜しい。

 

 帰りは友達と待ち合わせをしていたのでそれまでの充電が欲しいと思っていた。けれど結局待ち時間は外で本を読んだためパソコンは使わなかった。まだ9月だが涼しい秋風が吹いていて、鈴虫が鳴いていた。心地よくここにずっといたいとさえ思う。

 

 

 

 今日は外に出て正解だった。